2008年12月19日

野毛のまち紹介(19) ~横浜道~

今日は「横浜道」の紹介をいたします。



開港が決まった当時、東海道と港との連絡は、保土ヶ谷から
井土ヶ谷、蒔田を通るか、神奈川からの舟運しかなかったため、
幕府は東海道筋の芝生村(現浅間町交差点)から関内に至る
「横浜道」と呼ばれる道路を開きました。

この「横浜道」は新開地への主要街道として大いに賑わい栄えました。

現在の野毛の街でいうと、戸部方向から南へ伸び、中央図書館の前の
交差点で東へ曲がり、吉田橋へと続く道が「横浜道」にあたります。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.63

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2008年12月17日

野毛のまち紹介(18) ~横浜にぎわい座~

今日は野毛のまち紹介シリーズの第18回目として、
「横浜にぎわい座」の紹介をいたします。

桜木町駅と日ノ出町駅を結ぶ広い道路の北側に面しており、
かなり目立つ、有名なスポットだと思います。



開港後、日本中から横浜に押し寄せた人々は娯楽を求め、
野毛地域に隣接する賑町では数多くの芝居小屋や寄席が開業しました。

2002年、かつて寄席や芝居小屋がたち並び、連日華やいだ地域の伝統を受け継ぎ、
芸能を味わうための「横浜にぎわい座」がオープンしました。

新しい芸能を生み出す場として期待されています。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.76


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2008年12月12日

野毛のまち紹介(17) ~日本ガス事業発祥の地碑~

今日は野毛のまち紹介シリーズの第17回目として
「日本ガス事業発祥の地碑」をいたします。



1870年、高島嘉右衛門によって設立されたガス会社「日本ガス社中」の跡地です。
2年後の1872年に工場が完成し、わが国最初のガス灯が点火されました。

ガス灯はすごい勢いでスタートしていきましたが、経営不振に陥ったため、
横浜町会所に譲渡され、横浜市瓦斯局と名前を変えました。

さらに、1944年には東京瓦斯会社の吸収されました。

この碑と街灯は本町小学校のすぐ前にあります。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.67

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2008年12月10日

野毛のまち紹介(16) ~日本キリスト教団紅葉坂教会~

今日は野毛のまち紹介シリーズの第16回目として、
「日本キリスト教団紅葉坂教会」を紹介します。



宣教師の働きによってつくられた教会が多い横浜では珍しい、
日本人キリスト信者によって創立された教会として最も古い教会の一つで、
1893年に創立されました。

紅葉橋の少し西側、通りから南へ入ったところにあります。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.69

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2008年12月06日

野毛のまち紹介(15) ~掃部山公園・井伊掃部頭の銅像~

今日は、「掃部山公園」および同公園内の「井伊掃部頭の銅像」の紹介です。

掃部山公園は、紅葉坂の通りから北に少し入ったところにあります。
紅葉坂の通りは片側一車線ながら交通量の多い通りとなっていますが、
そこから一歩離れたこの公園は、それとは対照的に、緑の多い広い公園で、
あまり人気もなく、のんびりとした静かな様子です。



掃部山は、江戸時代には「不動山」、明治に入ってしばらくは「鉄道山」と呼ばれていました。
鉄道建設のために来日した外国人技師の官舎がここにあり、
また鉄道開通後も湧き水が鉄道用水として利用されていたのです。

明治17年、旧彦根藩士の有志が、元藩主であり幕末の大老としても活躍した
井伊掃部頭直弼の記念碑建設を計画し、この「鉄道山」を井伊家の所有としてから
この山は「掃部山」と呼ばれるようになったようです。



公園内にある「井伊掃部頭の銅像」です。
これまで複数の像や碑を紹介してまいりましたが、その中で最も大きい像です。
木の多い公園の中でも目立つ存在となっており、
最初見たときはそのスケールにちょっとびっくりしました。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.62

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2008年12月06日

野毛のまち紹介(14) ~金星太陽面経過観測記念碑~

今日は、野毛のまち紹介シリーズの第14回目として、
「金星太陽面経過観測記念碑」の紹介をいたします。

1874年、白昼に金星が黒いシルエットの形となって太陽の直前を通過する様子の観察に、
コバルービアスを隊長とするメキシコ隊と日本水路寮の吉田重親らが成功しました。

金星が太陽と地球の間を三者一直線の形で並びながら通過する機会はきわめて少なく、
観測に絶好な地として開国から間もない日本に、世界中の科学先進国が
大勢の天文学者を送り出しました。



100年後の1974年、これを記念し、観測に成功したこの地に建てられました。

場所は紅葉坂で、前回お伝えした神奈川奉行所跡の碑のすぐ近くです。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.60

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2008年11月29日

野毛のまち紹介(13) ~神奈川奉行所跡の碑~

今日は野毛のまち紹介シリーズの13回目として
「神奈川奉行所跡の碑」の紹介をいたします。



横浜開港に伴い、安政6年、開港場建設の事務に当たるため、
外国奉行・酒井忠行、水野忠徳、村垣範正、堀利煕、加藤則著らに、
神奈川奉行兼帯の命を授け、野毛村(現・西区紅葉ケ丘)に奉行役所を置きました。
奉行役所は戸部役所と呼ばれ、内国司法、行政の事務を取り扱いました。

これにより、小さな漁村であった野毛は、幕末に大きな武家町となりました。

写真の碑は紅葉坂の付近にあります。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.61

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2008年11月27日

野毛のまち紹介(12) ~天神山土取場跡~

今日は、「天神山土取場跡」の紹介をいたします。

日ノ出町駅の北西側の裏道から細い階段の道を上っていくと、
写真のような碑が出てきます。



かつて、野毛村には入り海があり、後ろには野毛山などの山々が迫り、
少ない田畑を耕作し、入り海を利用した塩づくりで生活していました。

入り海が埋め立てやすいことに気づいた吉田勘兵衛は、
新田開発を計画し、1667年に野毛新田(→吉田新田)を完成させました。

このとき、現在の日ノ出町駅のすぐ裏手にあたる天神山等の山の一部を
切り崩し、その土砂をもって埋立がなされました。

この碑には、土採場の跡である旨などが記されています。

昨年11月に東小学校の5年生とフィールドワークをして歩いた際、
ここを通っていたのですが、こうして歴史を知ったうえでもう一度この碑を見てみると、
まちにはほんとにいろんな特色があるんだなといっそう強く感じます。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.59

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2008年11月25日

野毛のまち紹介(11) ~美空ひばり像~

今日は、野毛のまち紹介の第11回目として、「美空ひばり像」の紹介をいたします。

美空ひばりというと、昭和を代表する歌手・女優としてとても有名です。

像が日ノ出町駅の近くに建っています。



美空ひばりは、横浜にとって、また野毛にとって関連の深い人物なのです。

生まれは磯子区滝頭で、横浜国際劇場の支配人であった福島通人に
才能を認められ、同劇場で本格的なデビューを果たしました。

この劇場があったのは、現在のJRA(ウインズ横浜)のところなのです。

同所から平戸・桜木通を挟んで南側に上写真の像が建っています。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.66


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2008年11月23日

野毛のまち紹介(10) ~横浜市中央図書館~

今日は野毛のまち紹介シリーズの第10回目として、
横浜市中央図書館を紹介いたします。

私たち横浜市大の学生にとっては、調べものをする際に
たびたび訪れるところですので、馴染みの深い場所です。



旧館を解体して平成6年にオープンしました。

蔵書数は約150万冊で、全国有数の規模です。

この図書館、建物の形態が特徴的ですね。

下は野毛山公園側からの写真です。




なお、開館時間は、火曜~金曜が9時30分~19時、
土曜・日曜・月曜・祝日が9時30分~17時となっています。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.58


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2008年11月20日

野毛のまち紹介(9) ~野毛山動物園~

今日は野毛山動物園の紹介をいたします。



横浜で生まれ育った方なら一度は入ったことがあるという方も多いかもしれません。

野毛山動物園は、昭和26年に開園しました(当時の名称は野毛山遊園地)。

ライオン、アムールトラ、キリン、チンパンジー、ペンギンなど
百種類以上、千点以上の動物がいます。

園内はもと日本庭園の名残があり、起伏に富んでいて、
各動物舎も起伏をうまく利用して建てられています。

入場料は無料で、子どもたちの楽しみの場となっています。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.56

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2008年11月19日

野毛のまち紹介(8) ~中村汀女句碑~

今日は野毛山公園内の「中村汀女句碑」の紹介をいたします。





中村汀女は、俳句を現代の女性の間に普及させた人物です。

その俳句は、女性らしい繊細で気品のある表現と暖かい叙情性が特色でした。

大蔵省官吏の夫とともに西戸部町の税関宿舎に住んでいました。

この碑は公園内の図書館寄りのエリアにあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

野毛山公園内の紹介は以上の5回になります。

ついでに、公園内を取材しているときにちょうど
野毛の空を航行していた飛行船も一緒に紹介します!

こんなところで飛行船を見かけるのはちょっと珍しいですね。




参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.57

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2008年11月18日

野毛のまち紹介(7) ~ラジオ塔~

今日は、野毛山公園内にある「ラジオ塔」の紹介をいたします。

ここまでは、野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』で
紹介されている名所をとりあげていましたが、今回紹介する「ラジオ塔」は、
野毛山公園を散策しているときにたまたま見つけたものです。

公園の図書館寄りの木の茂みの中に
写真のような不思議なものを発見しました。



ぱっと見は神社の灯篭のようにも見えますね。

これは一体何だろうと思って周囲を見廻してみると、看板がありました。



看板によると、ラジオの聴取契約者が百万人を越えた記念に、
日本放送協会が昭和7年度~8年度にかけて
全国の公園等41箇所に建てたものの1つとのことです。
昭和7年11月19日に建てられたもので、高さは3メートルとあります。

野毛山公園内にこんなものがあったのですね。

歩いてみるといろんな発見がありますね。


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2008年11月18日

野毛のまち紹介(6) ~オリンピック記念碑~

今日は野毛山公園内にある「オリンピック記念碑」を紹介いたします。

「オリンピック記念碑」と聞いて、
なぜ野毛に、横浜に、「オリンピック」なの?
と疑問に思われた方も多いかもしれません。

その理由を説明いたしますと、1964年の東京オリンピックで、
サッカー、バレーボール、バスケットボール(予選)の3種目が
三ツ沢競技場で行われたのです。

この碑は、これを記念して1966年に設置されたものなのです。



碑には彫刻家の堀野秀雄氏が制作した3種目のレリーフがはめ込まれています。

野毛山配水池の南のわりと広々とした一角にあり、目立つ存在となっています。
H・S・パーマーの記念碑もすぐ近くにあります。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.54


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2008年11月15日

野毛のまち紹介(5) ~H・S・パーマーの記念碑~

今日は、野毛山公園の中にある「H・S・パーマーの記念碑」の紹介をいたします。



H・S・パーマーは、1883年に来日し、日本最初の近代水道である
横浜水道を設計した人物です。

開港後の横浜は急激に市街化しましたが、良質な水に恵まれませんでした。

彼は、現在の津久井郡三沢村を流れる道志川に水源を求め、
野毛山貯水池までの水道工事を行い、1887年に完成させました。

現在も山梨県道志村からの清涼な水が、野毛山公園内の
野毛山貯水池を経由して横浜の市街へと配水されています。
ちょうど、当ブログの10月31日の記事でも触れたところですね。

この碑は、1987年、近代水道創設百周年を記念して建てられました。
野毛山配水池の南にあります。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.55

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2008年11月15日

野毛のまち紹介(4) ~佐久間象山顕彰碑~

先日野毛山公園の紹介をいたしましたが、今日から5度にわたって
公園内にあるものについてお伝えしていこうと思います。

まず今回は、佐久間象山顕彰碑です。



佐久間象山は、幕末の兵学者・洋学者、開港場として横浜が
最適地であることを主張し、横浜の発展の緒をつくった人物です。

蘭学と砲術を江川英竜に学び大砲の鋳造に成功し、
以後は西洋の学問そのものに大きな関心を寄せ、
ガラス製造や地震予知器の開発にも成功しました。

また、吉田松陰など、後の日本を担う人物を多数育てています。

顕彰碑は、開国百年記念に建てられました。

広い野毛山公園の中で、図書館に近い側の茂みの中にあります。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.53

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2008年11月13日

野毛のまち紹介(3) ~野毛山公園~

野毛といえば、野毛山公園を真っ先に思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

今日はその野毛山公園を紹介させていただきます。

日ノ出町駅の北の高台に、緑に包まれた広い公園があります。
これが野毛山公園です。



かつてこの一帯は、明治期の横浜の豪商が邸宅を構えていた場所でしたが、
関東大震災で壊滅し、復興事業として公園が整備され、大正15年に開園しました。



春の桜の時期には大勢の人が訪れ、賑わいますが、
今の時期の野毛山公園は静かで落ち着いた空気に包まれています。




公園から横浜市の南部の街並みを一望することができます。
日ノ出町駅からの距離はわずかですが、標高にすると
かなり高くに登っていることがわかります。

また、公園内に佐久間象山顕彰碑、オリンピック記念碑などもあります。
これらについては後日お伝えいたします。

横浜という大都市の中心部にありながらかなりの広さで、
公園内を歩いてみると意外な発見も多いのではないかと思います。
ぜひ一度訪れてみてください。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.52


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2008年11月12日

野毛のまち紹介(2) ~成田山横浜別院延命院~

野毛の名所紹介の第2回目は、「成田山横浜別院延命院」です。

成田山横浜別院延命院は、横浜開拓の恩人である高島嘉右衛門氏の協力で、
大本山成田山新勝寺よりご分霊を勧請し、横浜別院として建立されました。

野毛不動尊本山の名で親しまれ、世界平和、万年豊楽を祈願しています。



日ノ出町駅から戸部方面に続く広い道の東側の歩道を200mほど進むと、看板があります。

看板の矢印に従って狭い階段を上り、そのまま進んでいくと、
この成田山横浜別院延命院が見えてきます。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.51

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2008年11月10日

野毛のまち紹介(1) ~伊勢山皇大神宮~

当ブログでは開設以来、黄金町付近を中心に歴史やイベントの様子などを
お伝えしてまいりましたが、これまであまり扱えていなかった野毛についても
どんどん取りあげていこうと思います。

そこで、野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』で紹介されている
野毛の名所を、このブログでもレポートしていきたいと思います。

まず第1回目のご紹介するのは、「伊勢山皇大神宮」です。

明治維新後、国家の鎮護を祈ることを目的として、
神奈川県副知事の井関盛良が建白書を送り、創建されました。

日ノ出町の駅から、戸部方面に続く上り坂の広い道を進みます。

この道を400mほど進み、右後方へと登る細い道を上がると、
左手にこの伊勢山皇大神宮が見えてきます。



長い石の階段があり、中は意外と広いです。

階段を上りきると、本堂が見えてきます。



滞在時間は長くありませんでしたが、参拝に来られる方の姿も複数見受けられました。

静かな住宅地の中に、厳かな雰囲気を湛えていました。


参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.50

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2008年10月28日

歴史紹介 ~「赤門」東福寺~

今日のテーマは「赤門」と呼ばれて親しまれている東福寺です。

黄金町駅から北に進んだ高台に赤門町(あかもんちょう)という町があります。
赤門町の辺りは明治・大正時代は清水町と呼ばれていましたが、1935年に今の名になりました。
町名の由来となったのが、町の北に位置する東福寺です。
朱塗りの山門が特徴的だったことから「赤門」と呼ばれています。

東福寺は真言宗の寺で、1243年に元心法師が創建し、
室町時代の1480年ごろ、太田道灌が中興した、と伝えられています。
もとは海辺、今の大岡川寄りにありましたが、江戸時代初め、
盗賊に火を放たれて焼失後、現在地に移ったそうです。

江戸時代は徳川家から三石の寺領を受け、また24の末寺をもち、法談所という格を得ました。
しかし、江戸時代だけでも1627年、1822年と2回の火災に遭ったと伝えられています。
明治時代に入り、実業家の伏島近蔵が嘆き、再建が進められました。

しかし、またも1907年(明治40年)、火災で焼失しました。
その後、再建された本堂は付近では際立つほどの荘厳さでした。
山門も、美しい二層の楼門で、朱色に塗られてより引き立つものとなりました。
このころから、赤門の呼び名が浸透したと見られています。

しかし、1917年(大正6年)に放火されてしまいます。
本堂も楼門も翌年には再建されたものの、
1923年、今度は関東大震災で焼失してしまいました。
1925年2月に復興しましたが、第二次大戦中、1945年(昭和20年)5月29日の
横浜大空襲で火を浴びることとなりました。寺にとって7回目の火災です。

1960年に再建された現在の寺にも、朱塗りの山門があります。
本尊の高さ約90cmの聖観世音菩薩像だけは、大震災も戦災もくぐり抜けてきました。
空襲の時は当時の住職が「御本尊だけは」と懸命になり、土に埋めて助かったといいます。

kato  
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