2008年12月19日
野毛のまち紹介(19) ~横浜道~
今日は「横浜道」の紹介をいたします。
開港が決まった当時、東海道と港との連絡は、保土ヶ谷から
井土ヶ谷、蒔田を通るか、神奈川からの舟運しかなかったため、
幕府は東海道筋の芝生村(現浅間町交差点)から関内に至る
「横浜道」と呼ばれる道路を開きました。
この「横浜道」は新開地への主要街道として大いに賑わい栄えました。
現在の野毛の街でいうと、戸部方向から南へ伸び、中央図書館の前の
交差点で東へ曲がり、吉田橋へと続く道が「横浜道」にあたります。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.63
terada
開港が決まった当時、東海道と港との連絡は、保土ヶ谷から
井土ヶ谷、蒔田を通るか、神奈川からの舟運しかなかったため、
幕府は東海道筋の芝生村(現浅間町交差点)から関内に至る
「横浜道」と呼ばれる道路を開きました。
この「横浜道」は新開地への主要街道として大いに賑わい栄えました。
現在の野毛の街でいうと、戸部方向から南へ伸び、中央図書館の前の
交差点で東へ曲がり、吉田橋へと続く道が「横浜道」にあたります。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.63
terada
Posted by 市大生 at 23:47│Comments(1)
この記事へのコメント
拝見させていただきましま
Posted by ティンバーランド at 2012年01月04日 21:48